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RXKNephewという名のテロリスト

テロリスト?詩人?

“コロンブスって誰なんだ?もしあいつが俺の住んでるブロックに来て、俺の家を発見したとでもほざいたら銃でケツをブチ抜いてただろうな”
”クソ、聖書を書いたのは政府だ”
“ワクチンが俺たちを変異させた”
“黒人を片っ端から殺しておいて「左頬も差し出しなさい」なんてよく言えるな”
“カーディ・B の口はバカみたいだ”

これは楽曲『American tterroristt』のリリック。9分44秒の楽曲の中で彼は三度のビートループを経て意識の流れの全てをフリースタイルに乗せて吐き出す。そのほとんどは煮えたぎるような嫌悪感。彼は脳裏をよぎる全てに銃口を突きつけるのだ。宗教、ドラッグ、ワクチン、政府、社会科教員、コロンブス、ラッパー、ドナルド・トランプ、不倫、整形、豊胸などのセレブレティのゴシップ。彼の意識はこれらのトピックを不可測に奔走する。彼のダークなユーモアに油断していると、今画面の向こうにいるあなたも、無差別テロのように忽然と現われる嫌悪の凶弾を浴びる羽目に遭うかもしれないし、筆者の私に関しては言うまでもない。楽曲『Blackberry Touchscreen』ではプロデューサーのClean Dirtが、「このビートが終わるが待ちきれない。耳が痛くなる。」と流れ弾を被った。しかし、イカれたアナーキストがヘネシーを飲みながらこぼした愚痴のような、雑然としているようにも思える彼の意識の流れも、つぶさに観察してみると一貫した彼の姿勢が輪郭を帯びてくる。体制に対する懐疑とそれらからの精神的独立。気がつくとリスナーは、彼の形而上学的な問いの冥海に放り出せれている。そうしてカルト的なファンベースは拡大し続ける。彼はテロリストであり、詩人なのだ。

ネットミームテロリスト

彼は年間400を超える楽曲をリリースする。自宅、車内、どんな場所であろうと絶え間なくレコーディングは行われ、打ち出される新曲のアナウンスは犯行声明のようだ。自身をBeat Placement Worrierと称する彼はネット上に散乱するアマチュアビートとフリースタイルで武装し、いついかなる場所からでもテロを企てることができる。Beat Placementとは、プロデューサーがアーティストやレーベルに対しビートを提供し、クレジットを獲得するという方法だ。つまり、彼の楽曲制作はネットミームのように参加型であり、トラップやブーンバップをはじめ、ハウス、テクノ、ダブステップ、ドラムンベース、EDM、メタル、パンク、時にアカペラなど、異なる領域のプロデューサー達が、無数の文脈を交差させ、彼の楽曲を拡張し続けるのだ。ネットミームは、本来の意図や所有を超え、出発点をも忘失し、変異を繰り返しながら連鎖的に変容・増殖し続ける。私はその中にRXKNephewの肖像を見出そうとせずにはいられない。HipHopにおける、何がリアルか?という問いを置き去りにするスピード感で繰り出される雑多で、粗削りで、突飛な、混沌や混乱を内包する、あるいはそれを前提とした創造。拡張されていく彼の音楽は一体どこに行き着くのだろうか。

HipHopは実験と証明を繰り返しその文明を積み上げてきた。RXKNephewはその整合性を破壊するテロリストだ。ネットミームが解体、統合を繰り返し出発点すら忘失する速度で拡張され続けてきたように、彼はHipHopをその文脈から断絶させ、得体の知れない何かに変容させてしまうのだ。彼はポスト・インターネットの時代におけるアヴァンギャルドの象徴だ。我々が今こうしている間にも彼は次のテロを画策しているのだ。

文: Kazuki Kurata