
ハートを歪ませ、泣かせたのは誰なのか?〜Fontaines D.C. 『Romance』〜
「若者の文学は現在何処にあるのだろうか」こう問いかけた時、「ロック」という返答は期待できるだろうか。2000年代以降ヒップホップはメインストリームに台頭し、10年代には世界で最も聴かれている音楽にまで成長した。これに伴い、確かに若者の文学だったロックの求心力は衰退の一途を辿った。10年代の多くのロックバンドは幅広く音楽を参照し内包することで越冬を試みた。しかしこの潮流に逆行したロックバンドこそがFontaines D.C.だ。彼らはロックを一度解体し、プリミティブなポストパンクに再構築した。彼らの美学は一見無機質なミニマリズム的なものにも見えるが、作品の細部にはロマンティシズムが佇んでいる。しかしあくまで彼らの出自はストリート。彼らの処女作、詩集『Vroom!』は路上での手売りから始まった。文学の造形が深い彼らは、高尚な往年の名文でさえも、サンプリングという装置を介してストリートに収束させる。ダブリンのストリートで紡がれた青春文学の『Dogrel』、名声による自己の消耗と倦怠感、そして根無草への憧憬を描いた『A Hero’s Death』、ロンドン移住後、アイルランド人としてのアイデンティティの葛藤をつぶさに描いた『Skinty Fia』、彼らの葛藤と内省は『Romance』という、より普遍的な、人間の実存に関する問いに到達したようだ。ハートを歪ませ、泣かせたのは一体誰なのだろうか。
Romance
And deep in the night, I confide
夜が更け 打ち明ける
That maybe my goodness has died
俺の良心なんてものはもう死んでしまっているのだと
I pray for your kindness
君の優しさを祈る
Heart on a spit
串刺しにされた心
And maybe romance is a place, yeah
Maybe romance is a place, yeah
Maybe romance is a place
ロマンスはそこなのかもしれない
For me and you
And you
And—
私のための、そして君のための
現代というディストピアを彷徨う中で我々が失ってしまったものを示唆するオープニング。彼らはロマンスの中に一筋の光を見出したようだ。過度にポリティカルでも、パーソナルでもない、私のための、そして君のためのロマンス。
Starburstar
I wanna see you alone, I wanna sharp the stone
二人きり出会いたい 石を削って尖らせたい
I wanna bounce the bone, I wanna mess with it
セックスがしたい 滅茶苦茶にしたい
I wanna lay the deville, the whole crew on the sill
ビルを倒したい みんなで窓に乗っかって
I want the preacher and pill, I wanna bless with it
牧師とヤクが欲しい 祝福を受けたい
I wanna head to a mass and get cast in it
ミサに行きたい 参加したい
That shit′s funnier than any A-class, in’ it?
クラス-Aのヤクをやるより楽しいんだよな?
I wanna talk with the clown who has apologies down
謝罪したピエロと話しがしたい
Pay him 300 pound to take a class in it
授業を受けるために奴に300ポンド払え
I′m gon′ hit your business if it’s momentary blissness
I′m gon’ hit your business if it′s momentary blissness
I’m gon′ hit your business if it’s momentary blissness
I’m gon′ hit your business if it′s momentary (it may feel bad)
祝福が一瞬ならぶん殴ってやる(気分悪いかも)
現代社会に蔓延する短絡的な快楽主義に嫌悪感を吐露する。幸福が多義化・断片化した現代は即席の享楽で溢れかえっている。信仰という営みですら他の快楽と同様に陳列され、快楽の手段として消費されるのかもしれない。また、より強力な刺激を求めてしばしば人は攻撃的にさえなり得ることを仄めかしているようだ。
I wanna talk with a gag if it’s a bottle or bag
ボールギャグをつけて話したい それが酒かコカインならな
I wanna strike with the SAG, I need the friends from it
SAGとストライキを起こしたい 仲間が必要だ
I want a shot in the dark, I wanna make the mark
暗闇に発砲したい 印を付けたい
I want to live the arc, I call the ends on it
物語の中を生きたい そして終わりを告げたい
我々は往々にして複数のペルソナを演じ分けながら生活を送ってきた。しかしSNSの発達は自己とペルソナの性質を激変させ、その間に甚大な乖離をもたらしたと言えるだろう。ここでは役を演じ続けることへの疲弊とそこからの解放を切望しているように見える。
Here’s The Thing
Aren’t people made to chime?
人は調和するために存在してるんじゃないのか?
It never makes me happy anymore
俺が幸せになることはもう二度とない
Always singing in my mind
いつも心の中で歌う
And talking just provokes it, ah, ah
話しをしても刺激するだけだ
Desire
Deep they’ve designed you
奴らに根底から設計されてきたんだ
From cradle to pyre
ゆりかごから火葬場までずっと
In the mortal attire
死装束を纏って
Desire
Desire
欲望
It’s so hard to find you
自分さえ見失ってしまう
The mist you’ve acquired
立ち込める霧のせいで
Has you turned to a liar
お前は嘘つきになってしまったのか
Desire (Every 24 wretchin’ with desire)
Desire (All 24 wretchin’ with desire)
Desire (Every 24 wretchin’ with desire)
Desire 欲望(四六時中ずっと苦痛なんだ)
富や名声への欲求は人間に付き纏う恒久的な問題であろう。しかしそれ以上に彼らが言及しているのは、我々の消費という営みに思えてならない。現代において消費者としての我々の肖像は、もはや行動データを算出し続ける奴隷に変容した。テクノロジーはそのデータを元手に、我々の生活に侵入し中毒者を生み出し続ける。その手口はさながらドラッグディーラーのようだ。もはや我々の消費活動は根底からDesignされ、自由意志なんてものは、その片鱗さえ見当たらないのかもしれない。
In The Modern World
I feel alive
生きてるって実感するんだ
In the city
That you like
君の好きなこの街で
And wait for the day
そしてその日を待ちわびている
To go dreaming
夢を見にいくことを
Right by
すぐそばで
I feel alive
生きてるって実感するんだ
In the city
You despise
君が蔑むこの街で
And wait for the day
そしてその日を待ち焦がれている
When you come
君が訪れる時を
Riding on by
バイクに跨って
In the modern world (What?)
現代社会で(なんだって?)
In the modern world
現代社会で
I don’t feel anything
何も感じないんだ
In the modern world
現代社会で
変化の嵐が吹き荒れる現代において、絶対的な正解は多義化・断片化し、ユースは路頭に迷う。彼らはさしたる信条も持てず、冷笑や諦観が持つ引力に、無力にも引き寄せられていってしまう。
As long as I’ve known (Yeah?)
俺が知る限り(なんだって?)
There’s no feeling to draw (What?)
描きたいって感情がないんだ (なんだって?)
You may be the reason
原因はお前なのかもしれない
But I am the law
でも俺こそが法なんだ
I don’t feel bad
悪い気はしない
しかしここにきてアルバムの主題が片鱗を覗かせる。絶対的な存在が不在の現代において、少なくとも我々の内面にはlaw(確からしいなにか)を見出せるのではないだろうか。
Bug
But-but-but baby I swear it, I wanted to call
だけどベイビー、誓うよ、俺は電話したかった
But on my way ‘round I happened to fall
でも途中で転んでしまったんだ
She’s a MUA at Carnegie Hall
彼女はカーネギーホールのメイクアップアーティスト
In her vanity mirror, we’re losing it all
化粧鏡の中で見失ってしまった
Well, we shacked up swift abandonment way
俺たちはすぐに別れて一緒に暮らした
Catch sweet rain inside a beret
ベレー帽の中に甘い雨を捕まえた
In it I’m reflecting all of the day
その中で一日中内省してる
And I will fade in the night, yeah
そして夜が更けるにつれ俺は消え去ってしまう
Motorcycle Boy
Dreams, they got me chokin’ I’m jokin’, in mine
夢が俺を窒息させる 冗談だよ
People sick with feeling
感情に疲弊した人々
They never align
彼らが重なり合うことはない
All the life I’ve shown ya
お前に見せてきた俺の人生が
Will own ya in time
近い将来お前を支配する
It’s fine, I know
大丈夫、分かってる
You rain, I snow
お前が雨なら、俺は雪
You stay, I’ll go
お前が留まるなら、俺は行く
Motorcycle boy
モーターサイクルボーイ
小説家S・E・ヒントンの『Rumble Fish』に着想を得た楽曲。地元のギャングのトップだったモーターサイクルボーイ。彼の失踪後、弟のラスティ・ジェームスは聡明で屈強な兄のように振る舞い、再びギャングを統合しようと試みた。ラスティは兄との再会を果たし、彼がバイクでカリフォルニアに行っていたことを知る。彼は退屈な地元を飛び出して初めて、悪戯に過ぎ去った永遠とも思える時間が背後に横たわっていることに気がつく。まだ若い弟が同じ轍を踏まぬよう忠告するために、彼は故郷に帰ったのだ。ペットショップの狭い水槽で飼育された闘魚(Rumble Fish)に出会い、同情に似た感情を抱いた彼はそれらを川に逃すべく強盗の最中、警察の銃弾の前に倒れた。兄の遺言通り闘魚を川に放ち、自身もカリフォルニアの海に辿り着くシーンで映画は幕を下ろす。人生における選択と時間の有限性という人間の実存を問いながらも、その先に待ち構える不毛と死に対する無力感を示唆するヤングアダルト文学の傑作。そして楽曲『Motorcycle Boy』はグリアンが近頃文学に傾倒している実の弟に向けて書いた私的な内容だが、同時に普遍的な問題が浮き上がってはこないだろうか。
Sundowner
A sadness in the soul
魂の中の悲しみ
I dreamed it long ago
ずいぶんと前に夢に見た
But I have not belonged
でも俺に居場所はない
To any setting sun
沈んでいく太陽にも
A destination low
地平線の側の目的地
And I’d hate to see you go
君が居なくなるのは嫌だ
Now that I can feel it
今なら分かるよ
It’s faster if I call you
電話の方が話がはやい
根無草の不安に苛まれる時、人は居場所を求めて放浪してきた。(ロストジェネレーションの米国人作家がパリを目指したように)しかし我々現代人が放浪するのはインターネット上。それは真に価値のある時間の犠牲の上に成り立っているのかもしれない。
Horseness is Whatness
Will someone
Find out what the word is
その言葉が何なのかわかる奴はいるのだろうか
That makes the world go round?
世界を回しているその言葉
‘Cause I thought it was ‘love’
俺はそれが「愛」だと思ったから
But some say
That it has to be ‘choice’
「選択」に違いないと言う奴もいる
I read it in some book
なんかの本で読んだんだ
Or an old packet of smokes
古い煙草のパッケージか何かだったっけ
20世紀最大のアイルランド人作家、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』の一節を引用したタイトル。彼は人間における意識の流れ(思考や記憶の全て)を雑多に、漏れなく描写し続けた。その結果凡庸な中年男性が普遍的な人間像を獲得したのだ。アイルランド人としての矜持だけでなく、やはり人間の内的世界に何かを見出そうとする彼らの葛藤が見えてくる。
Death Kink
Shit, shit, shit
クソ、クソ、クソ
Battered
打ちのめされて
I caved in
屈服した
My promise
俺の約束は
Was clattered
ガタガタ音を立てた
Amazing stars from the dream
夢の中で見た美しい星空
I made a promise
約束した
And I killed it
そして破ってしまったんだ
Shit, shit, shit
クソ、クソ、クソ
Battered
打ちのめされて
I live meretricious
俺はまやかしを生きる
You shattered
お前が粉々にしたんだ
Amazing stars from my dreamin’
夢の中で見た星空を
I made a promise
約束したんだ
彼らは未だに内省の出口を見つけられずにいるようだ。打ちのめされ、屈服し、ついには人生も全てまやかしだと吐き捨てる。
Favorite
Stitch and fall
取り繕っては崩れて
The faces rearranged
顔ぶれは変わっていく
You will see
分かるだろう
Beauty give the way to something strange
美しさってのは奇妙なものに移り変わっていく
Yeah, it′s been
ああ、ずっと
A long, a long, a long, a long, a long-long
長い間ずっと
You were my
お前は俺の
Favourite for a long time
お気に入りだったんだ
あらゆる価値基準は相対主義に吸収され、路頭に迷うユースを尻目に現代は幾重にも姿を変容させ続ける。先行きが見えない彼らは所有よりも体験に確からしさを見出し、アテンション・エコノミーに招待される。しかし実体のない体験のその価値は持続しずらい。それはSNSにおける承認によって一時的に補完されるものの、すぐさま承認の闘争に放り出されてしまう。個人のかけがえのない体験は闘争の中で磨耗し、確からしさは見る影もない。ならば我々は”Favorite”の指標を他者から個人の内面に奪還し、You’ve been my favorite for a long time”と、確かめるように、そして祈るように、唱え続けよう。
彼らの詩世界をつぶさに観察していると、アートワークの意味が輪郭を帯びて肉薄してくる。現代化に形を歪められ、涙を流すハート。ロマン主義芸術の批判として、人間の理性を過信する欺瞞的な態度が挙げられることは定石だろう。しかしFontaines D.C.の「Romance」はその一歩先にある。欺瞞を自認し、葛藤に苛まれ、絶望を目の前に諦観に陥りそうになりながらも、人間の不完全な理性を讃え、歩みを続ける、これこそが現代のユースが持つ強度であり、そんな彼らが歩む道を照らしてくれる光こそが『Romance』なのではないだろうか。